果たして本当にさよならだけが人生なのか
わたしは圧倒的に別れの経験が足りておらず、故に別れへの耐性が低い。すぐに永遠を求めてしまうけれど、わたしが求める永遠などはこの世に存在しない。だから、終わりを迎えることが怖くて、始めることを敬遠しがちだ。
なのに、あまりに大きくて、真正面から真っ直ぐにこちらに向かってきて避けようのない出会いに襲われることがある。己の作り出した思い込みにより別れの恐怖に支配されることがわかっているのに、それでも出会うことをやめられないようなその感覚は、とある詩の一節を借りると「ほんとうに出会った者」を連れてくるのかもしれない。
そういう、必然だと感じてしまうような出会いだけに絞っているからこそ、ますます別れに怯えてしまう。「始まれば必ず終わりがくる」「出会いは別れの始まり」そう自分に言い聞かせて、安易に魂の欠片を預けるな、と。
けれど今日、「いつかの別れのために出会っている」という言葉をきき、わかりそうでわからないもどかしさを覚えた。別れてこそ出会いが完成するというのだろうか。別れこそが本質であると?会者定離ってやつ?
そう、この世は無常なのだった……。物事はつねに変化し続け、特に大きな変化は必ず痛みを伴う。別れを迎えると、魂にぽっかりと穴が空く。色々な思い出を詰め込んで、ひとつひとつ取り出しては慈しんだり憤ってみたりしても決して完璧には埋まらない、その存在の形をした穴だ。それを繰り返して増えていく魂の凹凸が、人間を作るのかもしれない。うしなうことを経験せずに、今を重んじることは果たしてできるのだろうか……。そう考えると、さよならだけが人生だと言えるかもしれないし、いつかの別れのために出会っていると言えるのかもしれない。
ちょっと今すぐ自分を納得させられる答えが見つからなさそうなので、一旦保留にします!でも折をみて考えていきたい。
居てほしいひとだけが居ない朝、うらはらに陽射しはあたたかく、つかの間の春を運ぶ。
続きを読むとくべつな日の過ごし方
2024年7月10日で満32歳になりました。お陰様で今年も無事に年を重ねることができました。ド本厄女の誕生日、朝イチで受診です。厄年感じるね
久々に夏風邪ひいたなって思ったら咳とれないんだもん……すでに一度受診した際は「ぜんそくに近い状態になってる」「大人になってからそうなる人もいる」「有り体に言うと寒暖差アレルギー」「気道過敏性亢進とか言うんだけど」などと言われ、気管支を拡げるお薬(引用:薬と一緒にもらう紙)をもらったけどあんまり効いてる感じがない。
更に誕生日前日には職場で咳爆弾と化し、クソ暑い中顔が真っ白になり、とうとう社長から早退を言い渡されるなどした。一週間ほど続いている咳爆弾で呼吸筋は鍛え上げられ、肋骨は悲鳴を上げ、夫はビビリ倒し、収入は激減(する予定)。これってどうにかなりませんか?
もうずっとこんな調子なので、1日2時間の作業で月収100万超えを謳う怪しいビジネスに手を出しそうになる。今後Instagramで聞き覚えのある声、見覚えのある顔の広告が出てきたら、私の自宅の方向に手を合わせてください
加齢で涙もろくなるってまじなの?
愛情表現って本当に人それぞれだ。私なら、「姿が見えなくなるまで見送る(訳あって最近はやめた)」、「寝ているひとに毛布をかける」、「お気に入りの美味しいものを分ける」など。それぞれの育ってきた環境・文化、それに影響を受けた性格だとかで、かなり変わるように思う。「これってこの人の愛情表現では?」と気付いた瞬間、心臓のあたりがぶわっと熱くなって、涙が出そうになる。自分に向けられたものでなくても。更に言うと、愛に限らず、共感できるシチュエーションでひとの感情を察知するとじわりと涙が滲む。私こそが汗と涙の結晶である。
だから、困っている。最近は何を観ても(読んでも)どこかしらで涙してしまうのだ。こういうのって、子育てとかしてなんやかんやで人生経験を積んだ人がなるやつじゃないの?空気が読めなくて気が利かず、時に気づかずにひとを傷つけてしまっているだろう私の、共感性が爆発している。正直しんどいので普段は共感スイッチをOFFにする。生きていくためにはこうする必要があること、世話焼きタイプの人はどう思うんだろうかと架空の人物に思いを馳せる。
たとえば「となりのトトロ」では、3人でお母さんのお見舞いにいくシーンで脱落する。普段はちいさなお母さんとして気丈に振る舞い、家事や妹の世話(時に父親の世話まで……)をしているサツキ。きっと何をするにもまだ小さな妹を優先して、日々の色々をグッと堪えてきたであろう彼女が、妹よりも先に母親から髪を梳いてもらい、髪質は母親似だと言われ、頬を染めてくすぐったそうに笑うのだ。その時だけは母親役からも、姉役からも解き放たれて、お母さんが大好きな11歳の女の子に戻ることができる。母親も、彼女が普段どれだけ頑張っているかわかるから、サツキを優先するのだ。これが愛じゃなかったら何なの?泣ける。今だって泣きながら書いてるよ……
私はトトロで育った子供で、1日に3周していたこともあるらしい。今だってセリフを言いながら観ることができるくらい魂に刻まれている作品なのに、観るたびに新鮮に涙を流しているのだ。今後こういうのがどんどん増えていくと思うとこわい。人前で何も観られなくなる。
なお、「加齢で涙もろくなる」というのは、人生経験により共感力が豊かになるという理由のほか、「前頭葉の働きが弱くなるから」という説もあるそうだ。正直どっちでもいい、たすけてくれ